街角や駅前でよく見かけた、昔の日本の公衆電話。
昭和や平成初期を思い出す人の中には、「そういえば黄緑色だったなぁ」と記憶している方も多いのではないでしょうか。
現在では数が減った公衆電話ですが、なぜあの独特な“黄緑色”だったのでしょうか?
実は、あの色にはしっかりした理由がありました。
今回は、日本の公衆電話が黄緑色になった背景や意味、歴史についてわかりやすく解説します (^_^)
昔の公衆電話は最初から黄緑色ではなかった
実は、日本の公衆電話は最初から黄緑色だったわけではありません。
戦後しばらくの公衆電話は、黒色の電話機が主流でした。
家庭用電話と似たデザインで、現在のイメージとはかなり違っていたのです。
その後、1950年代〜1960年代頃になると、街中でも「公衆電話をすぐ見つけられること」が重要になってきました。
そこで登場したのが、目立つ色を採用した“カラー公衆電話”だったのです。
なぜ黄緑色になったのか?
公衆電話が黄緑色になった最大の理由は、「遠くからでも見つけやすい色だったから」です。
当時、公衆電話は緊急時や待ち合わせ、連絡手段として非常に重要な存在でした。
スマートフォンはもちろん、携帯電話すらない時代だったため、「すぐ見つかること」がとても大切だったのです。
その中で採用されたのが、視認性の高い黄緑色でした。
黄緑色には、
- 遠くからでも目立つ
- 街並みに埋もれにくい
- 暗い場所でも比較的認識しやすい
- 赤色ほど警戒感を与えない
といったメリットがありました。
特に日本の街並みでは、自然にも人工物にも完全には同化しない絶妙な色だったため、公衆電話向きだったと言われています。
「緑の電話」と呼ばれていた時代
1970年代以降、公衆電話は「緑の電話」という愛称で広く知られるようになりました。
正式には「緑色公衆電話」と呼ばれ、10円玉や100円玉が使えるタイプが普及していきます。
駅や商店街、学校前など、日本中どこでも見かける存在となり、多くの人の日常に欠かせないインフラとなりました。
当時は、
- 待ち合わせ前の連絡
- 家への帰宅連絡
- 遠距離恋愛の電話
- 受験結果の確認
など、人生のさまざまな場面で公衆電話が使われていました。
黄緑色の電話機を見るだけで、どこか懐かしい気持ちになる人も多いかもしれませんね。
実は赤電話やピンク電話も存在した
昔の日本には、黄緑色以外の公衆電話も存在していました。
例えば、有名なのが「赤電話」です。
こちらは主に商店など店内に設置され、店側が料金管理を行うタイプでした。
さらに1980年代頃には、「ピンク電話」と呼ばれる電話機も登場します。
こちらも店舗設置型で、家庭用電話に近い役割を持っていました。
しかし、街中で誰でも自由に使える電話として定着したのは、やはり黄緑色の公衆電話だったのです。
現在、公衆電話が減った理由
現在では、公衆電話を見かける機会はかなり減りました。
最大の理由は、携帯電話やスマートフォンの普及です。
ほとんどの人が自分専用の通信手段を持つようになり、公衆電話の利用者が大幅に減少しました。
ただし、公衆電話は災害時に強い通信手段として今でも重要視されています。
停電時でも使えるケースがあり、携帯回線が混雑した際にも比較的つながりやすいため、完全になくなったわけではありません。
まとめ
昔の日本の公衆電話が黄緑色だった理由は、「遠くからでも見つけやすく、街中で目立つ色だったから」でした。
スマホのない時代、公衆電話は人々の生活を支える非常に大切なインフラだったのです。
現在では数が減ったものの、黄緑色の公衆電話は昭和・平成を象徴する存在として、多くの人の記憶に残っています。
もし街中で見かけたら、少しだけ昔の時代に思いを馳せてみるのも面白いかもしれませんね (^_^)





