日本最大級の繁華街として知られる「新宿」。
巨大な駅、高層ビル、歓楽街、百貨店などが集まる東京を代表する街ですが、実は“新宿”という名前には、江戸時代から続く歴史が隠されています。
普段何気なく使っている地名ですが、「そもそも“宿”って何?」「なぜ“新”なの?」と思ったことがある人もいるかもしれません。(・∀・)
今回は、新宿という名前の由来や、江戸時代との関係について、ブログ形式でわかりやすくまとめていきます。
目次
「宿」は宿場町の“宿”だった
まず、“新宿”の「宿」は、現在のホテルや旅館という意味ではありません。
江戸時代の「宿」は、
- 旅人が休憩する場所
- 馬を交換する場所
- 食事や宿泊を行う街
といった、“宿場町(しゅくばまち)”を意味していました。
当時の日本では、主要な街道沿いに宿場町が整備され、多くの人々がそこを利用して旅をしていたんですね。( ˘ω˘ )
甲州街道に新しく作られた宿場町だった
新宿の由来を語るうえで欠かせないのが、「甲州街道」です。
甲州街道は、江戸(現在の東京)から山梨方面へ向かう重要な街道でした。
しかし当時、現在の新宿付近には宿場町がなく、
- 日本橋 → 内藤新宿 → 高井戸
の間隔が長すぎて、旅人が困っていたそうです。
そこで江戸時代の1698年、新たに宿場町が設置されることになりました。
つまり、
「新しくできた宿場」
だから「新宿」と呼ばれるようになったわけです。(`・ω・´)
正式名称は「内藤新宿」だった
実は、当時の正式名称は単なる「新宿」ではありませんでした。
正式には、
「内藤新宿(ないとうしんじゅく)」
と呼ばれていました。
これは、この土地が江戸幕府の大名だった“内藤家”の屋敷地に関係していたためです。
現在でも、新宿御苑の一部には当時の内藤家の名残があると言われています。
なぜここまで大きな街になったのか?
もともとは宿場町だった新宿ですが、その後どんどん発展していきました。
特に大きかったのが、鉄道の開通です。
1885年に山手線の前身路線に駅ができたことで、人の流れが急増。
さらに、
- ターミナル駅化
- 百貨店の進出
- オフィス街の発展
- 歌舞伎町など歓楽街の形成
などによって、日本屈指の巨大都市へと成長していきました。
「宿場町」だった名残は今もある?
現在の新宿は超高層ビル街のイメージが強いですが、実は昔の宿場町の名残も残っています。
例えば、
- 甲州街道のルート
- 新宿御苑周辺の歴史
- 古い地名
などには、江戸時代の面影が見られる部分があります。
また、「内藤町」という地名も現在まで残っており、当時の歴史を感じさせてくれます。(・∀・)
“新宿”は当時としてはかなり新しい街だった
現代では“超巨大都市”というイメージの新宿ですが、江戸時代当時から見ると、
「比較的新しく作られた街」
という立ち位置でした。
つまり、「新宿」という名前は、
- 新しい宿場町
- 新設された中継地点
という意味そのものだったんですね。
まとめ
新宿という名前は、江戸時代に甲州街道沿いへ新しく作られた宿場町、「内藤新宿」が由来でした。
- 「宿」は宿場町の意味
- 旅人の休憩地点だった
- 新しく作られたので「新宿」
- 正式には「内藤新宿」だった
という歴史があったんですね。
今では超高層ビルとネオンの街として知られる新宿ですが、そのルーツをたどると、“旅人のための休憩地点”だったというのはなかなか面白いところです。(˶ᐢωᐢ˶)





