松尾芭蕉の知られざる正体はまさかのあの人物!?松尾芭蕉に関する都市伝説とは??
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2018年01月25日
都市伝説

 松尾芭蕉といえば、『おくのほそ道』で有名な俳諧師ですよね。

そんな松尾芭蕉ですが、まことしやかに噂されている都市伝説があります。

今回はそんな松尾芭蕉に関する都市伝説について紹介したいと思います!

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松尾芭蕉が歩いた距離が尋常ではない!?

 まず、松尾芭蕉が『おくのほそみ道』内で日本を旅している時の年齢が46歳でした。

当時でいえば46歳は高齢であったのにも関わらず、松尾芭蕉は1日に12里(=48キロ)歩いたとされています。

現在ほど道路が整備されていたとは言いがたい道で、1日に48キロも歩いて旅をしていた…というのはなかなか考えられません。

そこで浮かび上がるのが、松尾芭蕉の正体が服部半蔵だった…という説です!

松尾芭蕉の正体が服部半蔵であれば、忍術を駆使して1日48キロを歩くことも容易かった…ということになりますね(・・!)

関所を通れたのは服部半蔵と徳川家康の関係性があってこそのものだった?

 松尾芭蕉が日本全国を旅していた時、日本各地には関所と呼ばれるものがあり、交通手形がなければ通ることができない関所もあったほど交通規制が厳しかった時代でした。

そんな中、俳諧師のうちの1人でしかなかった松尾芭蕉が関所をスンナリと通れたのは、松尾芭蕉の正体が服部半蔵だったため…となるとうなずけます。

では何故松尾芭蕉の正体が服部半蔵だと関所をスンナリ通れるとなるのでしょうか。

服部半蔵といえば、江戸幕府を始めた徳川家康に仕えていました。

そんな徳川家康は、日本で初めて忍者部隊を作ったとされており、その長を務めていたのが服部半蔵だったそうです。

今でも東京にある半蔵門は、そんな服部半蔵の功績を称えて徳川家康が名付けたのだそうです。

それぐらい関係性が強かった徳川家康と服部半蔵ですが、服部半蔵は褒美として
「自由にしてほしい」
と家康に申し出ます。

それを家康は認めたため、服部半蔵=松尾芭蕉は関所をスンナリ通ることができた…ということになるんですね。

松尾芭蕉の旅の本当の目的とは?

 では、何故服部半蔵=松尾芭蕉は日本全国を旅しようと思ったのでしょうか。

その旅の目的が『かごめかごめ』の唄を日本全国に広めるためだったという説があります。

『かごめかごめ』の唄といえば、
よあけの晩に鶴と亀が滑った
で有名な唄ですが、この唄の本当の意味が徳川埋蔵金のありかを示した唄だった…なんて話があります。

では、徳川家康に仕えていた服部半蔵が松尾芭蕉と名乗って日本各地を旅しながらかごめかごめの唄を広めたのは何故でしょうか?

それは、埋蔵金がある=徳川家に財力があることを各地の大名に示し、反乱しても無駄だと思わせるためだったからなんだそうです。

日本各地を旅しながらも、徳川家康の恩を忘れず、徳川家の力を全国に示すために唄を広めていた…と思うと、松尾芭蕉の徳川家康に対する忠誠心がとても強かったということがわかりますね!

まとめ

 以上が松尾芭蕉=服部半蔵だと言われている理由でした!

実際に松尾芭蕉の正体が服部半蔵なのかどうかは置いておいて、松尾芭蕉が1日に移動した距離や関所を通れた理由などを考えると、松尾芭蕉の正体が服部半蔵というのも納得できるのが面白いですね(^^)

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