明治維新の裏にフリーメイソンあり!?グラバー園にはまさかのアレが!
以前、キリンビールのロゴ・麒麟は坂本龍馬をモチーフとしている…という話を「キリンビールのロゴには歴史上の人物との意外な接点があった!?その概要についてご紹介!」にてご紹介しましたが、その時にトーマス・ブレーク・グラバーについても簡単にお話しました。
このトーマス・ブレーク・グラバーが社長を務めたジャパン・ブルワリー・カンパニーというビール会社がビールのロゴを決める時に麒麟をモチーフにした、ということなのですが、実はこのトーマス・ブレーク・グラバーが明治維新の裏で活躍していた…という都市伝説があります。
そこで今回はグラバーがどのように明治維新の時に活躍したのか?についてお話したいと思います!
グラバーは何故日本にやってきたの?
そもそもトーマス・ブレーク・グラバーは何故日本に来たのでしょうか。
1859年(安政6年)に、グラバーは開港後間もない長崎にやってきて、2年後にフランシス・グルームという人物と共に“グラバー商会”という商社を設立し、貿易業を営み始めました。
最初は生糸や茶の輸出を中心として扱っていたグラバーですが、八月十八日の政変後の政治的混乱に着目して討幕派の藩、佐幕派の藩、幕府問わず、武器や弾薬を販売し始め、グラバーは武器商人として名が知られるようになります。
その時には、坂本龍馬が中心となって結成された亀山社中とも取引を行っていたそうです。
明治維新の裏にフリーメイソンが?
武器商人として薩摩藩・長州藩などに武器を売っていたグラバーですが、そんなグラバーの自宅でもあるグラバー邸の屋根裏には隠し部屋があります。
幕末の志士達がこの屋根裏部屋に集い、日々密談を交わしていた…という話があり、その志士の中にはあの坂本龍馬もいたそうなんです。
そしてこのグラバー邸があるグラバー園の入口には、フリーメイソンのマークが入った石柱が立てられています。
グラバーがフリーメイソンだったのかどうかについては正確な情報はありませんが、自分の家の屋根裏を集会所として志士達を招き密談を交わさせていた…というのは、フリーメイソンの集会所と近いような立ち位置ではあるので、グラバーがフリーメイソンだったとしてもおかしな話ではないように思えます。
そしてその密談を交わしていた志士達の中に、明治維新の中心人物だった坂本龍馬がいた…となると、フリーメイソンだったグラバーは坂本龍馬に明治維新を起こさせるためにグラバー邸に招いていた…とも考えられます。
つまりは明治維新の裏にはフリーメイソンが関わっていたなんてことも考えられますね。
まとめ
武器商人として坂本龍馬と関係を持っていたグラバー。
彼がフリーメイソンで、坂本龍馬に明治維新を起こすよう忠告していたかどうか、真相は闇の中ではありますが、グラバー邸があるグラバー園の入口にフリーメイソンの石柱が立てられているのを見ると、少なからずグラバーとフリーメイソンには何らかの関係があったように思える…ってのがいかにも都市伝説なにおいがします(笑)
“自由・平等・博愛”の思想のもと活動しているフリーメイソンが何故坂本龍馬に肩入れしていたのか?その辺について考えてみるのも面白いのかもしれませんね!