外部からの接触を拒み続ける島!?北センチネル島についてご紹介!
外部からの接触を拒み続ける島として知られている北センチネル島をご存じでしょうか。
一体どのように拒んでいるのか、はたまた北センチネル島ってそもそも何なのか?について調べてみました!
北センチネル島とは??
北センチネル島はミャンマーとインドネシアの中間にあり、インド洋ベンガル湾にある572の島々からなるアンダマン・ニコバル諸島の一部で、行政面からいうとインド共和国に含まれる島になります。
島の大きさは約73㎢で、これは東京23区の約1/8と同じで小さな島になります。
しかし、インドやその他の国々からは孤立した場所に位置しており、未開の地として有名です。
そしてこの北センチネル島の周囲4.8㎞はインド政府により立入禁止区域に指定されているのです。
センチネル族について
そんな北センチネル島に住むセンチネル族は、北センチネル島に約6万年前から住んでいるアフリカ大陸から移り住んできた直系の子孫だと考えられています。
センチネル族は
- 狩猟で生活している
- 農業は行っていない
- 野生の果物や根菜類、ブタ、トカゲ、蜂蜜を採取して生活している
- 言語も独自のものを使用している
という生態が判明していますが、それ以外は不明なままとなっています。
ちなみにセンチネル族は40~500人ほどが島で生活しているのではないか、と推測されているようです。
何故立入禁止区域に指定されているのか?
そんなセンチネル族ですが、2004年にスマトラ島沖地震が発生した際に、センチネル族の生存者を確認し、救援物資を届ける目的で島を訪れたヘリコプターにさえ矢を放って外部者の上陸を拒んだという話があります。
また、2006年にインドの漁師、スンデル・ラージ氏とパンディット・タワリ氏が大型カニ漁に北センチネル島に向かい、数日後に島に上陸しましたが、その2人を目撃したセンチネル人の島から出るように、という話に抵抗したために殺害されてしまった…という話も。
その他にも1980~1990年代にかけて、嵐で難破した人々とそれを救助しようと向かった多くの人々がセンチネル族に殺害された…という事実から、インド政府は島の周囲4.8キロメートルにわたって立入禁止区域に指定したのです。
何故外部からの接触を拒むようになったのか?
では何故、センチネル族はこれほどまでに外部との接触を拒むようになったのでしょうか。
これには1960~80年代にインド政府が行った“プレゼント投下作戦”が発端だと考えられています。
1960年代当時、インド当局はセンチネル族を含めたアンダマン諸島の先住部族の平定に積極的に取り組んでいました。
そのため舟で島の近くまで行き、先住民への贈り物としてココナッツ、バナナ、プラスチック製のおもちゃなどを投下するプレゼント投下作戦が行われていました。
実際この作戦はうまくいき、1991年にはセンチネル族の数十人が非武装で砂浜に出てきて、プレゼントを受け取るために腰まで水に浸かって侵入者を出迎える…ということもありました。
しかし、アンダマン諸島の先住民は接触からまもなくはしかの大流行などの伝染病の蔓延に苦しみ、やがて人口が激減してしまったのです。
それ以外にも北センチネル島近辺の先住民族は近代文明を受け入れた結果、性的虐待やアルコール中毒、寄生虫への感染などといった要因で多くの部族社会が崩壊してしまいました。
そして先住民族として長い歴史を持つインド東部・アンダマン諸島のボー族は現代のウイルスに対する免疫がなく、最後の生存者が亡くなってしまい絶滅しました。
こういった出来事が島の近辺で起きたことにより、自分の社会の崩壊を恐れたセンチネル族は外部との接触を拒むようになったそうです。
まとめ
以前から何故北センチネル島は立入禁止区域に指定されているのか、そしてセンチネル族は何故ここまで外部との接触を拒んでいるのか気になっていましたが、自らの社会の崩壊を防ぐために行っていることだった…と知ることができました!